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中国人女性との結婚にあたり
日本側での一連の手続きと
イベントを終えた後、
私たちは嫁の出身地である
中国福建省に渡りました。
※日本側のことは過去記事で!

★★★
この工程ででやったことは
大きく以下の2つ。

①結婚の宴を催す
②中国側の戸籍を変更する

今回はまず①をご紹介します。

なお、私たちは中国側では
日本の挙式に相当するような
儀式的なものは行っていません。
なので本記事は手続きというより
中国のとある村で行われた結婚の
宴の様子をご紹介するものです。
まったりご覧いただければと。

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3月下旬、中国福建省は古田県。
日中の気温は20度前半、桃の花が
見ごろと迎えた心地よい季節。
201804261
(桃の花が見ごろ)

予想を超えた規模で行われた
婚約パーティからちょうど1年。
結婚の宴のために再度嫁の故郷を
訪れた私は期待と不安が半分ずつ。
※婚約パーティの様子は過去記事で!
(→中国の『訂婚』パーティ)

宴の当日、
福建小妹(嫁)は実家から少し離れた
メイクのお店で化粧&ドレスアップ。
私は普通のスーツに金のネックレス
といった軽めな扮装。

今回の宴は、嫁の実家で開催される
ということで、メイクのお店から
実家まで結婚用に派手にデコられた
車で移動です。
201804262
(結婚用にデコられた車)

なんと、
伴走する車は、火のついた爆竹を
窓から放り投げながら街中を激走。
いやいや、爆風が対向車や歩行者
にかかってるし…^^;
…さあ、
それっぽくなってまいりました!

実家の周りには、すでに多くの
人が集まっており、その中を新郎
新婦がお披露目的にゆっくりと
歩きながら実家の寝室へ。

寝室のベッドはそれ用に飾り付け
されておりました。
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(それ用に飾り付けされたベッド)

新郎新婦はまずベッドに腰かけて
玉子スープをいただく。
玉子スープは、子宝に恵まれるよう
にとの願いから新郎新婦が食べる
風習とのこと。ふーん。

その後は、
新婦の友人が部屋になだれ込んで
ハイテンションで談笑。
これが噂に聞いた「闹新房」か。
文字通りにぎやかでおめでたい
雰囲気が高まります。

そして昼12:00、宴の始まりです。
例の通り爆竹が大音量で響き渡り
新郎新婦は、衣装を中国っぽい赤い
やつに着替えて、宴の会場へ。
201804264
(中国っぽい赤いやつ)

会場はなんと、実家とその隣の家、
そして向かいの家の3会場!
それぞれ10人掛けの円卓が4卓ずつ。

その宴は新郎新婦の登場を待たずに
既に始まっており、料理も実家の
お庭の特設キッチンからどんどん
運び込まれています。

日本の披露宴のように、乾杯の挨拶
や来賓のスピーチなどはなく、
途中からきた客人も着席と同時に
ダイレクトに食事開始。
…お、おぅ、これはこれでいいぞ!

そんな感じで、
新郎新婦は特にいじられることもなく
1つの円卓に参加。
次々に運び込まれる大皿料理も、
皆すごい勢いで消化していきます。
「遠慮」とか「ご歓談」なんて
していたら食いっぱぐれます。

宴の終盤では、新郎新婦とその家族が
全ての客人の円卓を廻りながら挨拶、
乾杯しなが红包を頂きました。
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(客人に挨拶&乾杯)

客人は皆さん、村の娘を奪っていく
日本人に対して、言葉が通じない
ながらとても親切に接してくれて、
とても暖かな気持ちになりました。


宴は13:00の爆竹(終了の合図)で
あっさりお開き。
客人は特に居座ることもなく、
料理はしっかり「打包」して
さーとお帰りになりました。

客人はおおよそ120名と、規模、
方式、帰り際の速やかさ(^^;
共に1年前の婚約パーティと
ほとんど同じ展開でした。

疾風怒濤の宴を終えて、
私は思いました。
なるほど、「結婚の宴」の正体は
ハイペース&超効率的な食事会だ。
(…あくまで私の感想)

そんな宴はその1回だけでなく、
その夜と次の日の夜の合計3回
微妙に客人が入れ替わって開催
されました。
(…ヘロヘロで日本へ帰国)

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さて、宴はそんな感じでしたが、
結婚に関連して中国側で行うべき
手続きがまだ残っています。

次回は、
国際結婚の手続きにおいて
最後にして最大の難関、
嫁の中国側の戸籍変更について
取り上げます。

φ(.. )
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